新しい脊椎椎間板治療剤の研究開発

手術不要!これまでにない脊椎椎間板治療法

研究科:整形外科
教授名:由留部 崇(助教)

脊椎椎間板のご研究をされているのですね。

 はい、皆さんも腰痛のご経験があるのではないでしょうか。腰痛は日本で最も不調を訴える人が多い症状です。脊椎、つまりせぼねは身体の中心を支えており、痛みがあると何をやってもうまくいかなくなり、気分も滅入ってしまいます。実際、腰痛は休業を要する疾病で最多の6割以上を占め、労働力の低下につながる世界的な健康問題であり、私ども整形外科が扱う疾患のなかでも特に早急な解決が望まれています。
 例えば腰痛を生じる代表的な疾患の一つに椎間板ヘルニアがあります。脊椎を構成する一つ一つの骨(椎骨)の間にあるクッション材(椎間板)が無理な運動やけがで傷み、正常な位置から飛び出すことでおさまりが悪くなり、急激な腰痛が出現します。さらに近傍を走行する神経を圧迫することで坐骨神経痛などの症状を引き起こしてしまうと仕事はおろか、日常生活もままならなくなってしまいます。多くの場合、まずは安静、コルセットの装着、鎮痛薬の服用やブロック注射などの保存療法を試みます。重症の場合にはやむなく手術を提案しますが、脱出したヘルニアを摘出したり、金属製のインプラントでぐらついた椎骨同士を固定するものであり、傷んだ椎間板自体を“治す(修復、再生)”こととは異なり、根治することはありません。もちろん多くの患者さんが健康な椎間板に戻ることを望んでいることは重々理解しており、患者さんの願いと現在提供できる医療との間には大きなギャップがあります。そのため私たちは椎間板の構造や機能が温存可能な、新たな治療法を開発しています。

その治療法はどのようなものですか

 私どもは椎間板の再生医療に取り組んでいます。近年、整形外科領域においても徐々に再生医療が普及してきました。ですが四肢関節疾患などとは異なり、脊椎の椎間板は身体の深部にある、血流・栄養の乏しい、非常に劣悪な環境の組織であり、単純な成長因子の投与では持続的な治療効果が得られ難いことが判明しています。同様に細胞移植を行っても、その特殊な生態環境のため、実は移植した細胞は大半が死滅してしまいます。椎間板は人体で最も早期に老化する組織の一つであるにもかかわらず、一度変性すると自己修復は困難であり、現時点で実用化に至った再生医療もなく、修復・再生に極めて不利な組織だといえます。我々の研究室は20年以上、椎間板研究を続けており、これまでの研究成果から、椎間板再生には内的環境の特殊性を考慮に入れた戦略が重要と考え、遺伝子治療のアプローチを採用しています。
 遺伝子治療と聞くと、怖いイメージをお持ちの方もいらっしゃるかもしれません。ですが我々は新型コロナワクチンでも利用された、RNAを介した安全性の高い手法で治療法を開発しています。例えばRNA干渉であれば椎間板細胞のDNA(ゲノム)には組み込まれず、細胞分裂など次世代に影響が及ぶことなく、遺伝子発現の制御が可能になります。既存の遺伝子導入技術では有効性、徐放性、安全性に限界があり、臨床応用にはハードルが高いと考えていました。ですが私たちは最終的に体内で消失する“生分解性”と有害な免疫反応や炎症反応を起こしにくい“生体適合性”を兼ね備えた「新たなナノ粒子」を採用することで安全性を高め、結果、高濃度の遺伝子導入が可能となり、有効性と徐放性を飛躍的に向上させることに成功しました。このアプローチは独自性が高く、既に特許も出願しており、さらに研究を続けております。

どのような特徴があるのでしょうか

 “生分解性”及び“生体適合性”を兼ね備えた新規材料(ナノ粒子)による安全性、有効性、徐放性が著しく向上した遺伝子導入法を用い、これまでの遺伝子治療にない、高い安全性を獲得していることが技術上の大きな特徴です。
 また細胞自身のクリアランス機構であるオートファジーなどの椎間板が本来持つ“清浄力”を高めることで組織の劣化を避け、健康な状態を長く維持することを目的とした予防的なアプローチであり、より生理的な治療法であることが生物学的な特色になります。
 さらに私どもは特殊な設備・施設を必要とせず、いつでもどこでも安全かつ簡便に、注射だけで治療を提供できるようにしたいと思っています。腰痛や坐骨神経痛といった椎間板変性疾患を患う患者さんは非常に多く、全世界におられます。若年者も高齢の方もいますし、なかには全身状態に不安のある方もおられます。かつ通常、椎間板は人体に23個も存在します。そのため我々は一つの椎間板を治すのに多額の医療費が掛かってしまう、限られた人のための医療ではなく、全国どの病院でも低コストで実施できるようにしたいと考えてのことです。そのような治療の実用化を目指してRNA干渉・製剤を用いた椎間板遺伝子介入の研究をしているのは、日本で私たち神戸大学大学院整形外科だけです。

どのような社会実装をイメージされていらっしゃるのでしょうか

 まず第一のステップとして、現在、腰痛で苦しんでいる方々への使用を想定しています。椎間板ヘルニアの患者さんが保存療法で改善しなければ、手術を提案します。脱出した椎間板を切除することで急性期の症状は改善しますが、椎間板組織の切除やヘルニアが脱出した穴の残存により椎間板が変性して圧潰が進み、慢性腰痛や脊柱管狭窄を患うようになります。また一度罹患した椎間板ヘルニアは幸い保存療法で改善したとしても、将来、変性が高率に進行してしまいます。わが国では20~40歳代を中心に年間約3万人もの患者さんが手術を受け、その数倍の方で保存療法が施行されており、私どもの治療法で傷んだ椎間板を保護できれば、変性予防につながると考えています。
 もう1つの適用は高齢の患者さんに対してです。高齢者では高度に変性した椎間板からすべり症など脊椎のぐらつきを生じ、しばしば金属製のスクリューを用いた固定術が選択されます。固定椎間自体は動かなくなることで症状の改善が得られるものの、上下に隣接する椎間板には固定椎間の動きを補うべく、これまで以上の過剰な負荷が掛かることになります。そのため手術椎間の上下が早期に傷む隣接椎間障害という合併症を生じ、追加手術が必要となる患者さんが多いのです。我々の治療法により隣接椎間障害が予防できれば、長期的な手術成績の維持につながり、追加手術への肉体的・心理的・経済的不安を減らすことができ、さらに社会保障・医療費の削減にも貢献できます。
他にも腰椎分離症という、椎骨がまだ未成熟で柔らかい成長期のスポーツ選手に多く生じる疾患があります。例えばプロ野球選手は幼少期から激しいトレーニングを積んでおり、4割程度(!)が罹患しています。椎骨の分離(疲労骨折)から椎間板に多くの負荷が掛かり、早期に破綻して慢性腰痛や坐骨神経痛を生じてしまいます。初期にはスポーツも可能ですが、将来的には悪化が確実であり、選手生命を左右するために手術が躊躇されることも多いのです。私たちの治療法が確立できれば、入団時に変性予防の注射を受けるような時代が来るかもしれません。

今回の支援でどういったことが可能になるのでしょうか

 現在、我々の研究は開発実験及び性能試験の結果から特許を出願し、さらにデータを集めている段階です。今後の非臨床・臨床研究においては莫大な研究費が必要であり、国の支援を含め、様々な手段を検討しています。
 治療法の開発はのんびりしていると10年近く掛かってしまいます。私たちはこれを5年に短縮し、できるだけ早く患者さんに届けたいと考えています。それには資金があればあるほど、早期に実験に取り掛ってデータを集めることができ、最終的な治験に進むことができます。
 腰痛は長年にわたって早急に解決すべき世界的な健康問題であり、例えばアメリカの統計では腰痛によって全労働人口の1%が就労できずに年間1,000億ドルの経済損失に達するとされており、日本でも労務不能となる理由の第一位は腰痛です。腰痛や坐骨神経痛の主たる要因となる椎間板変性で苦しんでいる方々は非常に多く、私どもの「新たなナノ粒子を用いた治療剤」が役立つ場面が必ずあるはずです。皆様のご支援をどうぞよろしくお願いいたします。